論説「1620年の朝鮮燕行使李廷龜一行の交渉活動―光海君時代における対明外交の一局面―」の感想を書く前に、その論説の冒頭で触れられている
稲葉岩吉氏の論説を紹介しておこうと思います。
こちらは、昭和4年に発表されたものなので、ネットで簡単に入手できますのでよろしければ、
原文(3P~)をお読み下さい。
ただ、旧仮名遣い旧漢字で書かれており、漢文の引用が多いために、私には読みにくかったです。
そう言えば、古文・漢文は高校時代から苦手でした。(遠い目)
そこで、この文章を少しずつミルキー的に書き直してご紹介します。
原文をお読みになった方で、間違いを見つけられたら、コメ欄にてご指摘下さい。
修正加筆を随時行っていきたいと思います。
タイトルは、「草本光海君日記-李朝実録纂修より見たる-」。
昭和4年8月発行の雑誌「史学(第8巻第2号)」に掲載されました。
目次は次の通りです。
はしがき
1.国史保存の沿革
1
2.実録纂修次第
3.太白山本光海君日記
4.討論と光海君日記
5.先草及び晒曝
なんと、目次を書いただけで、今日は力尽き果てました。
晒曝の文字をようやくアップできたところで、今夜は終わりにします^^
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