不倫相手との恋が実らず、父親のない子を産んだティディ。
そのティディに、チャミョンはプロポーズするのですが、「あなたは、愛する方法を知らない。このままでいましょう。その方がいい。」と断られます。
そして、チャミョンは、「愛する方法が分からなかったから、ララに何もしてやれなかったのと同じようにティディにも何も説明できなかった。」と綴ります。
予告編で、チャミョンはティディによって愛し方を学ぶとあったので、=ティディと恋愛するからと思っていたのですが、そうではなく、こういう形で、徐々に愛する方法を知っていくということなのでしょうか。
「愛する方法」について、私なりに考えてみました。
第7話あたりだったか、ララの学生運動の仲間が、チャミョンに「なぜ一緒に活動しないの?恋人が活動していると影響される女性は多いけど、男性は違うんだな。」というシーンがあるのですが、私は、それを聞いて、学生時代の友人のことを思い出しました。
以前、私達の学生時代は、ララと同じ1980年代だけど、日本では、既に学生運動はなかったと書きました。
でも、ごく一部ですが、未だ学内には、学生運動をしているグループもありました。
その内の一つで、私のごく親しい友人が活動していました。
活動をはじめたばかりの頃、彼女は、熱に浮かされたように、私達に成田で座り込みをしたこと、卵を大量に持っていき、機動隊めがけて投げたことなどを話していたのですが、彼女の言う「ダンコク」という言葉に驚いてしまいました。
「ダンコク?。。。。もしかして、弾劾(ダンガイ)のこと?」
彼女は弾劾の文字も読めないのに、「ダンコクや!!ダンコクや!!」と叫んでいるのです。
学生運動などに何の興味もないのに、彼女が憧れている寮長の影響で、彼女が活動をはじめたのは明らかでした。
「あの寮長が、もし右翼だったら、彼女は右傾化したのだろうか?」と、当時の私は思ったものでした。
このように、女性は男性の生き方に影響されるものなのでしょう。
では、なぜララは、チャミョンの生き方に影響されなかったのか?
それは、チャミョンが優しく冷静過ぎたからではないでしょうか。
大学を休学し、地方の工場に潜入したララを訪ねた時、チャミョンは、ララを安宿に連れて行き、一夜を共にしますが、そこでも、彼は紳士的すぎました。
もし、あの時、チャミョンとララが結ばれていたら、ララは命を落とさなくて済んだかも知れません。
愛を成就させるためには、人は、時として理性をかなぐり捨てなければならないのではないでしょうか。
私は、最近、このドラマは究極の純愛ドラマだと感じています。
親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ち、そして、姉弟愛、夫婦愛、勿論、若い男女の恋愛も。
そのどれもが、はかなくも美しいです。