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国際派俳優イ・ビョンホン

この冠って初めてじゃないですか?
嬉しいですね。
しかも、日本のサイトの記事ですよ^^→
内容も「役者魂あふれる発言を連発」と、嬉しい限り^^
まあ、アイ・カムのDVDのCMのためではあるのですが、いつもこんなニュースだと良いですね。

今朝、「めざましテレビ」でビョンホンシのニュースが報じられたとき、夫の「韓国ってバカラ禁止なの?」っていう質問に、立て板に水の如く返事をしてたら、「質問に対する答えだけで良いよ。」って、釘を刺されてしまいました^^;
だって、日本では、「訴えられました」ってことと「事情聴取を受けました」ってことしか報じられないから、どうしたって、印象悪いですよね。
春にはアイリスもオンエアだというのにね。
もうね、私の仕入れてる情報をあちこちで広報したい気分。
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by lee_milky | 2010-01-22 22:06 | +I come… | Comments(0)

I Come with the Rain.フォトコメンタリー

I Come with the Rain.フォトコメンタリー
ビョンホンシ自らコメントをつけたそうです。
マメですね~。
そのコメントの中に、私のツボにはまるコメントを見つけたので、和訳することにしました^^
さて、私のツボは?

画像の①~⑩のナンバーの上にカーソルを移動すると、画像が変わります。
画像の下の短いコメントは・・・
①내가 이 곳에 온 것을 아무에게도 알리지(私がここに来たことを誰にも知らせるな)
②드디어 영화 마지막 촬영(いよいよ映画最後の撮影)
③연인 앞에선 한없이 약한 남자!(女性の前では限りなく弱い男!)
④내일을 향해 쏴라?(明日に向かって撃て?)
⑤조쉬 하트넷과 현장에서 처음 만난 날(ジョシュ・ハートネットと現場で初めて会った日)
⑥수동포파(ス・ドンポ派)
⑦휴대폰은 누구?(携帯電話は誰?)
⑧나는 어디에?(私はどこに?)
⑨배우들의 전용의자(俳優達の専用椅子)
⑩연출을 원하는 감독님(演出を望む監督)


매니저와 사진놀이 찰칵, 악역이라구? 훈남같죠
マネージャーと写真遊びパシャッ、悪役にして?フンナム(ドキドキさせる男の子)でしょう?

■EXCLUSIVE -이병헌의 포토 코멘터리 '나는 비와 함께 간다' 촬영현장
■EXCLUSIVE -イ・ビョンホンのフォトコメンタリー 「私は雨と共に行く」 撮影現場


"가장 애착이 가는 악역이다."
"最も愛着が湧く悪役だ"


배우 이병헌이 영화 로 할리우드의 문을 성공적으로 두드린 후 다국적 프로젝트 <나는 비와 함께 간다>(감독 트란 안 홍ㆍ수입 케이앤엔터테인먼트)의 개봉을 앞두고 있다. 제14회 부산국제영화제에서 스포트라이트를 받고 있는 <나는 비와 함께 간다>는 이병헌이 최근 <좋은 놈, 나쁜 놈, 이상한 놈> 등 악역 중 가장 애착을 갖고 있는 캐릭터다.
俳優イ・ビョンホンが映画でハリウッドの門を成功的にたたいた後、多国籍プロジェクト <私は雨と共に行く>(監督トラン・アン・ユン 輸入KNエンターテイメント)の封切りを控えている。 第14回釜山(プサン)国際映画祭でスポットライトを受けている <私は雨と共に行く>はイ・ビョンホンが最近 <良い奴,悪い奴,変な奴> などの悪役の中で最も愛着を持っているキャラクターだ。

이병헌은 "<나는 비와 함께 간다>의 수동포는 뼛속까지 악인인 사람이다. 하지만 사랑하는 여자라는 아킬레스건을 가졌다. 그녀에게 느끼는 사랑 그 이상의 감정을 보여주는 수동포라는 캐릭터를 연기하며 카타르시스를 내내 느꼈다"고 말했다. 이병헌이 직접 '포토 코멘터리'를 붙여 스포츠한국에 보내온 사진을 단독으로 입수했다.
イ・ビョンホンは"<私は雨と共に行く>のス・ドンポは骨の髄まで悪人だ。 だが愛する女というアキレス腱を持っている。 彼女に感じる愛それ以上の感情を見せるス・ドンポというキャラクターを演技じて、カタルシスを終始感じた"と話した。 イ・ビョンホンが直接'フォト コメンタリー'を付けて、スポーツ韓国に送ってきた写真を単独で入手した。


②드디어 영화 마지막 촬영
②いよいよ映画最後の撮影

막바지 촬영이었다. 촬영 전 트란 안 홍 감독(오른쪽)이 조쉬 하트넷(왼쪽)에게 무엇인가 디렉션하고 있다. 클라인(조쉬 하트넷)이 시타오(기무라 타쿠야)의 흔적을 좇다가 계속해서 미궁에 빠지자 수동포(이병헌)에게 도움을 구하러 오는 장면을 준비하는 모습이다.
詰めの撮影だった。 撮影前、トラン・アン・ユン監督(右側)がジョシュ・ハートネット(左側)に何かディレクションした。 クライン(ジョシュ・ハートネット)がシタオ(木村拓也)の跡を追って、引き続き迷宮に陥るやス・ドンポ(イ・ビョンホン)に助けを求めに来る場面を準備するようすだ。


③연인 앞에선 한없이 약한 남자!
③女性の前では限りなく弱い男!

수동포는 악한 캐릭터이지만 사랑하는 여자 앞에서는 한없이 약한 존재다. 사랑하는 연인 릴리(트란 누 엔 케)를 찾아나서는 수동포의 모습이다. 참고로 트란 누 엔 케는 트란 안 홍 감독의 아내라는 사실. 허허.
ス・ドンポは悪役キャラクターだが愛する女の前では限りなく弱い存在だ。 愛する恋人リリー(トラン・ヌ・イエン・ケイ)を探しに出るス・ドンポのようすだ。 参考までにトラン・ヌ・イエン・ケイはトラン・アン・ユン監督の妻という事実。ハハ。


④내일을 향해 쏴라?
④明日に向かって撃て?

나의 총구가 겨누고 있는 곳은? 조멩지(여문락)라는 캐릭터다. 조멩지와 수동포는 서로를 없애고 싶어하는 앙숙 관계이다. 사진에는 나오지 않았지만 조멩지와 서로 총을 겨누는 신을 촬영 중이다.
私の銃口がねらっている所は? ジョン・メンジー(余文楽)というキャラクターだ。 ジョン・メンジーとス・ドンポはお互いをなき者にしたい敵同士の関係だ。 写真には出てこなかったけれどジョン・メンジーと互いに銃を向けるシーンを撮影中だ。


⑤조쉬 하트넷과 현장에서 처음 만난 날
⑤ジョシュ・ハートネットと現場で初めて会った日
영화 초반 수동포와 클라인이 스치듯 만나는 첫 대면 장면이다. 나와 조쉬 하트넷은 각자의 감정에 몰입해 있는 모습이다. 사진 속 모습은 진지하지만 실제로는 현장에서 절친이었다.
(촬영 전 두 사람의 첫 만남은? 조쉬 하트넷은 이병헌이 출연한 <달콤한 인생>의 DVD를 자신의 트레일러 안에서 보던 중 이병헌과 인사를 하게 되었고, 조쉬 하트넷은 이병헌의 연기에 찬사를 아끼지 않았다고)
映画序盤ス・ドンポとクラインがかすめるように会う初めての対面場面だ。 私とジョシュ・ハートネットが各自の感情に没頭している姿だ。 写真の中の姿は真剣だが、実際には現場ではきわめて親しい間柄だった。
(撮影前の二人の初めての出会いは? ジョシュ・ハートネットはイ・ビョンホンが出演した <甘い人生>のDVDを自身のトレーラの中で見ている時にイ・ビョンホンと挨拶を交わすことになり、ジョシュ・ハートネットはイ・ビョンホンの演技に賛辞を惜しまなかったと)


①내가 이 곳에 온 것을 아무에게도 알리지 말라
私がここに来たことを誰にも知らせるな

시타오를 추적하는 장면을 찍다 잠시 짬이 났다. 사타오의 공간에서 잠깐 동안 매니저와 사진 놀이 찰칵!
シタオを追跡する場面を撮った後、しばらく待ち時間ができた。 シタオの空間で、少しの間、トンアンマネジャーと写真遊び パシャッ!


⑥수동포파
⑥ス・ドンポ派

영화 <좋은 놈, 나쁜 놈, 이상한 놈>에 창이파가 있었다면 이 영화에는 수동포파가 있었다. 이들은 나의 든든한 부하들이다.
映画 <良い奴,悪い奴,変な奴>にチャンイ派があったとすれば、この映画にはス・ドンポ派があった。 この人々は私の頼もしい部下だ。


⑦휴대폰은 누구?
⑦携帯電話は誰?

수동포가 사랑하는 여자 릴리가 실종되어 그녀를 찾아 나서는 모습을 찍었다. 나를 찍고 있는 모자를 쓴 분은 영화 스틸을 담당했던 베트남인 히엔이다.
ス・ドンポが愛する女リリーが失踪して、彼女を探しに出る姿をとった。 私を撮っている帽子をかぶった方は映画スチールを担当したベトナム人ヒエンだ。


⑧나는 어디에?
⑧私はどこに?

내 모습이 겉으로 보이지는 않지만 왼쪽 차에 타고 있었다. 오른쪽 차는 조멩지와 클라인이 타고 있는 차. 두 대가 마주보며 체이싱을 하는 장면이었다. 위험한 장면이라 많은 스태프들이 고생했다. 쉬는 시간 동안 촬영 스태프와 배우들의 국적을 세어보니 자그마치 12개국이었다.
私の姿が表面に見えることはないけれど、左側の車に乗っていた。 右側の車はジョン・メンジーとクラインが乗っている車。 二台が向かい合ってチェーシングをする場面だった。 危険な場面だったので多くのスタッフが苦労した。 休み時間の間、撮影スタッフと俳優の国籍を数えてみると、少なく見積もっても12ヶ国だった。

⑨배우들의 전용의자
⑨俳優達の専用椅子

촬영장 한 곳에 배우들의 전용의자가 놓여있다. 내 전용의자에는 'LEE BYUNG HUN'이라고 씌여있다. 외국인들이 쉽게 발음하지 못하는 이름이라 대부분 스태프들은 'LEE'라고 불렀다. 트란 안 홍 감독은 항상 내 이름 석자를 불러주어 살짝 감동했다. 하지만 항상 이상한 발음으로 불러주었다.
撮影会場1ヶ所に俳優達の専用椅子が置かれている。 私の専用椅子には'LEE BYUNG HUN'と書かれている。 外国人が簡単に発音できない名前だということで、大部分のスタッフは'LEE'と呼んだ。 トラン・アン・ユン監督は常に私の名前全て呼んでくれて、ほんのり感動した。 だが常におかしな発音だった。


⑩연출을 원하는 감독님
⑩演出を望む監督

촬영 전 감독님과 장면에 대한 설명을 듣고 이야기를 나누는 모습이다. 감독님과 시나리오 작업 때부터 영화 촬영 내내 수동포 캐릭터에 대해 논의했다. 감독님은 배우가 직접 장면을 연출해나가기를 원했다. 처음에는 많이 긴장이 되었지만 그 방식에 익숙해지며 수동포 캐릭터에 대한 이해가 더 잘 되었던 것 같다.
撮影の前に、監督と場面に対する説明を聞いて話を交わすようすだ。 監督とシナリオ作業の時から映画撮影終始ス・ドンポのキャラクターについて議論した。 監督は俳優が直接場面を演出していくことを望んだ。 初めはとても緊張したが、その方式に慣れてス・ドンポキャラクターに対する理解がさらにうまくいったようだ。
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by lee_milky | 2009-10-11 09:54 | +I come… | Comments(2)

「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」4回目・5回目

土曜日に「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」を2度見ることが出来ました。
この映画館、一月1200円の会費を支払うと、本人は観放題。
家族は、大人500円、こども300円で観られるので、家族連れの方が結構いらっしゃいました。
もしかしたら、5回の観覧の中で最も入場者が多かったかも?

以前、ここで「甘い人生」を観たときも、トーホーで観たときには黒だと思っていた色が緑だったことに気づいたのですが、今回も、グレーだと思っていたハシュフォードのアトリエの壁がうす紫色だったことに気づきました。
この映画、ドンポのシャツといい、リリのドレスといい紫が沢山出て来て、シタオが蒸かした芋まで紫芋だったのですが、こんなオープニングから既に紫が出て来てたのですね~。
てな事を思いながら、ぼーっと観てたら、クラインがシタオの父親からシタオ捜索の依頼を受けるシーンに画面が移り、父親が、「あらゆる汚染が怖くて、人との接触を断ち、息子のシタオとさえもこの10年直に会っていない。」と告げたとき、リリとドンポの濡れ場のシーンで、監督が夫人が演じる濡れ場を自身のこどもや夫人の母親さえも同席させたことを思い出しました。
つまり、シタオの父親とトラン・アン・ユン監督は逆のタイプの父親だと思ったわけです。
そこから、「もしかして、監督は、汚染を恐れないってこと?監督のメッセージは、それ?」と、思っていると、シーンは、フィリピンの街中へ。
その街中から、森の中に入っていくシーンになった時、あの父親がクラインに依頼するシーンは、例えば「甘い人生」の柳のシーンのように、この映画のメッセージを既に語ってるのかなと、思い当たりました。
すると、彼の職業が製薬会社の社長だったことに意味がある気がしてきました。
つまり、「この世の中は、汚染され、もう薬では浄化出来なくなってしまった。薬が効かなくなったとき、残る手段は人間の根源に帰る『手当』しかない。だから、父親の愛情を感じ取ることが出来なかったシタオは『汚染』を恐れる父に対峙し、『手当』によって人の痛みを和らげる者に変化する。『汚染』を恐れていてはいけない。『汚染』つまり『同化」することでしか道は開けないのだ。」
こう、思い至ったとき、監督の「こうなってほしい、ああなってほしいという望みよりも、“世界を受けとめる”ことが大切だと思います」という言葉を思い出しました。

映画のクライマックスで、ドンポがシタオに、クラインがドンポに「俺は地獄を見た。」と言い、ドンポはクラインのこの言葉を聞いて、クラインにシタオの居所を教えるわけですが、人生においてまさに「地獄を見た」監督だからこそ、この言葉が出てくるのでしょう。
戦争から逃れるため、ベトナムという生まれ故郷を捨てなければならなかった監督にとって、まさに、この言葉は、痛みとして感覚的に導き出した結論ではなかったでしょうか。
あぁ、平和な日本に生まれた私は、何とちっぽけなことでくよくよ悩んでいることか。
こうなってほしい、ああなってほしいという望みよりも、まずは自分が現状を受け止めなければ。
この映画が日本で受けなかった理由は、あるいはこんなところにあるかも知れません。

さて、フィリピンについたクラインは早速バーガスの元を訪ねます。
すると、なんと、バーガスはシタオの居た部屋に今も住んでいるのです。
つまり、既にシタオに「同化」しているのでしょう。
だからこそ、シタオが銃で撃たれた事実を知っているのにもかかわらず、クラインに香港に行ってみろとアドバイスをします。

香港に着いたクラインは旧知の刑事仲間メン・ジーを訪ねます。
その時、メン・ジーが接見していたのが、ス・ドンポ。
そして、クラインの目の前を通るのが医務室に連れて行かれるシタオ。
私は、前にこの映画を観たとき、原作だと言われている「人の子」にこだわっていたから、ドンポとシタオが三位一体の関係にあるのかと思っていたけど、そうではなく、監督はこの小説から、キリスト教の教義やドンポの登場の仕方を参考にしたのでしょうね。
だって、「同化」や「汚染」は、そのものになるのではなく、影響を受けて変化することだから。
きっと、「人の子」は監督にとって発想のきっかけになるいくつかの要素の内の一つなのでしょう。

さて、メン・ジーとクラインはその夜、香港の夜の街に繰り出します。
久しぶりに酒を酌み交わしながら、クラインはメン・ジーに刑事をやめた原因を語ります。
その時、クラインは自分が犯人に「同化」したことを「汚染」と表現します。
「同化」と「汚染」は同義語でしょうが、「汚染」は否定的です。
この時点では、クラインは自分の相手に「同化」するやり方に否定的だということです。
犯人のハシュフォードに「同化」したことで、自らも犯人の首を切り取り、精神に異常を来し、未だに女の裸体を見れば、ハシュフォードの「芸術作品」を思い出すクラインなのですから、「同化」に否定的なのは当然です。

しかし、そのクラインが結局はシタオに「同化」し、彼の足跡を辿ろうとします。
それは、クラインが五つ星のホテルを出て、出来るだけ粗末なアパートに移り、そのアパートをシタオの小屋の周辺にあった草で覆うことで分かります。
私は、クラインが「同化」を否定するのをやめ、再び対称に「同化」しようとしたきっかけは、ドンポにあると思いました。

リリがミフーに連れ去られた翌日、メン・ジーはス・ドンポを挑発します。
車を逆送しながら、毒づくメン・ジーに傷心のドンポは振り向こうともしません。
ところが、リリのことを悪くいわれた途端、目をむき、拳銃をメン・ジーに向けます。
メン・ジーは「なぜ、ドンポがリリのことを悪く言われるとあんなに腹を立てるのか理解できない。」と言い、瞬時にドンポに「同化」したクラインはこともなげに「愛だろう。」と言います。
この時、クラインはシタオに「同化」することを選択したのだと思います。
なぜなら、この直後に、メン・ジーにアパート探しの手伝いを依頼しますから。
つまり、この時、クラインは世界を丸ごと受け入れる第一歩を踏み出したわけです。

さて、シタオの「手当」を受けて薬の中毒から抜け出したリリはドンポの元に帰ります。
もう、この時のドンポが良いのです。
この映画が好きだからというのもあるのですが、やはり、このドンポが好きだから、私は映画館に通うのでしょう。
もっと早く、見に来れば良かったと後悔しきりです。
今回、感じたことですが、ドンポはあんまりメイクしてませんよね。
だから、素のビョンホンシに近い感じがします。
だから、ドンポが好きなのかなぁ^^
リリを探し求めるドンポはまるで写真集のメイキング映像を見るようです。

このリリとドンポの考えただけで羨ましい(笑い)シーンに対照的なのが、このシーンに続くクラインが現地の女を買いに行くシーンです。
我を忘れ、リリを抱くドンポ。
恐る恐る商売女の前に座るクライン。
おそらく、クラインはあの事件以来女を抱くことは出来なかったでしょう。
なぜなら、女の裸体はあの「芸術作品」を想起させますから。
でも、恐る恐るではあっても、女の元に行ったクラインは、既にハシュフォードの「汚染」から解放に向かっているということかも知れません。

翌朝、リリはシタオの元に帰ります。
でも、家を出た時点では、リリはシタオのところにお礼に行っただけではないでしょうか。
なぜなら、あのシタオの小屋にはおよそ不釣り合いな「ケーキ」を手みやげに身軽な格好をして出かけたのですから。
でも、人々に「手当」を施すあまり、自分自身がボロボロになっているシタオを見て、リリはその小屋を離れられなくなります。
「私がついている。」というリリ。
私は、この時のリリの様子を見て、雑誌T2009NO.6の41ページに「ドンポとリリが孤児院で兄妹のように育ち、彼が10代の時、初めて犯した殺人を彼女は見ている」と、ビョンホンシが語っているのが載っているのを思い出しました。
実は、私は、この雑誌を読んだ時、そのような過去が監督の中にあらかじめ用意されていたのではなく、ビョンホンシが聞いたことによって生まれたエピソードだと思ったのです。
それほど、突飛な感じがしたということです。
でも、今回見てみたら、このボロボロになったシタオを介抱する様が孤児として傷つき、更に人を殺して傷ついたドンポに寄り添うリリを彷彿とさせました。
リリは聖母マリアのように優しい女性。
あまりに優しいから、薬に頼ったのかしら。
だから、ドンポが心配ならドンポに寄り添い、シタオが心配ならシタオに寄り添い、シタオが死んでしまえば、ドンポの元に帰るのでしょう。

居なくなったリリを探して、ドンポがシタオの小屋にやってきます。
その時、ドンポの見たものはリリとシタオの寄り添う寝姿でした。
あの時の、ドンポの心境はどんなものだったのでしょうか。
あの、ドンポの表情があまりに悲しいです。
その表情とシタオを銃で撃った直後、シタオに手をさしのべられたときの表情とシタオを磔にしたとき、シタオが「お父さん」と言うのを聞いた時の表情が、どんどん変化していくのが鳥肌ものです。
ここで、「お父さん」も「同化」「汚染」と同じようにキーワードだったことを思い出します。
シタオが「お父さん」と言った直後、ドンポが泣き、シタオを助けに来たクラインがシタオに「お父さんからの依頼で来た。」と告げたとき、シタオが再び「お父さん」と言います。

話は、ちょっとだけ元に戻りますが、シタオの居所を知ったクラインがドンポの元を去るとき、入れ替わってリリが部屋に入ってきます。
その時、ドンポが顔を上に挙げかけるのですが、そこが中途半端な感じで、次のシーンに変わります。
そこ、続きが観たいところです。

韓国版は、日本版より少し短いですが、ドンポのシーンは日本版より長いかも知れませんしね。
韓国版も観てみたいです。
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by lee_milky | 2009-10-04 23:47 | +I come… | Comments(9)

アイ・カム・ウイズ・ザ・レインのお陰で・・・

先週の金曜日に、勤務校で数学の公開授業がありました。
1年生の授業で、これまで学習してきた方程式を利用して文章題を解くというのが課題でした。
中学校は教科担任制なので、他の授業がどのように行われているのか、日々、どのように変容しているのかがわからないのが実際のところなので、他教科の授業を観るのは興味深いものです。
今回は、まず何をxに置くかを自分で決めるというところから始まったのに、驚きました。
私達が中学生の頃は、まずは例題で解き方のパターンを知ってから練習問題を解いていたものでしたから、型にはまらない今回の授業展開に感心しました。

でも、この方法があまりに高度すぎたのか、戸惑う生徒が多くて、立式できない生徒が続出しました。
そこで、当初の計画では、班で自分の解き方を発表しあって、自分とは別のものをxと置いたときの立式の方法を友だちに学ぶことになっていましたが、授業者の担任のとっさの判断で、班内での教えあい学習に変更になりました。
実は、今年の1年生は教えあい学習が苦手です。
私のこれまでの経験では、低学年では教えあい学習が好きだったのに、3年生の後半頃から、受験に目覚めた成績の良い生徒が、一時期教えあい学習を面倒に思うものです。
だから、これまでは、こういう傾向が見え始める三年生のこの時期に、学年で取り組みを行って来ました。
ところが、今回は未だ1年生。
どうしたものかと、考えましたが、未だ、学年の全生徒に伝えるのは早い気がしました。
そこで、前日の木曜日に行った学年学級委員会で、まずは学年委員長と学級委員に教えあい学習の大切さを伝えたばかりでした。

さて、この公開授業の行われた1組の3班には、数学の得意な学年委員長のA君と苦手な学級委員のB君が居ます。
班学習を指示された直後から、A君はB君に一生懸命に教えはじめましたが、なかなかB君は理解できません。
次第に必死になったA君の声が大きくなって、そこに授業を見学する教員が集まりはじめました。
沢山のギャラリーの見守る中、B君はあきらめ顔になりました。
でも、そんなとき、担任から、「班の教えあいをそろそろ終わろうと思いますが、あと少しで分かりそうな人は居ますか。」と、声がかかりました。
すると、B君が「はい。」と、右手を高く上げて、大きく返事をしたのでした。
果たして、班学習は、後2分時間が延長され、B君は何とか理解することが出来ました。

結局、班学習は、方法も時間配分も計画からははずれてしまいましたが、この数学の時間は、生徒にとってとても貴重な時間になったと思います。
授業の終末に、「今日、はじめ、自分一人で考えた時には分からなかったけど、班での教えあい学習で、理解できた人は手を挙げて。」と担任が言ったとき、全員の手が上がりました。
それを受けて、「今日は、初めての文章題で難しかったし、沢山の先生方に囲まれて緊張もしたと思うけど、教えた人も教えられた人も最期まで諦めず、頑張りましたね。」担任が声をかけたとき、生徒の顔はニコニコと輝いていました。
「おわり」の合図で、学級委員のB君が声高らかに「起立」の号令をかけました。
実は、先月の初めに眉を整えて登校したB君に、私は厳しく指導しました。
そして、眉が生えそろうまで学級で司会をしたり、号令をかけてはいけないと言い渡しておいたのです。
つまり、約一月の間、B君は学級委員会で叱られたり、雑務だけはさせられて、目立つことはさせて貰っていなかったわけですが、たまたま、この日の前日に、ゲジゲジに不揃いに生えかかった彼の眉を確認して、学級委員としての仕事を全面解禁したばかりだったのです。

放課後、廊下の戸締まりをする私の所に、A君とB君が駈けてきました。
二人とも上気した顔をしています。
そして、「先生!!昨日の学級委員会が役に立ちました。」「僕、一生懸命に説明しました。」「僕も、分かるまで諦めませんでした。」と言う彼らに、私も「先生も、おどろいた。なにせ、昨日の今日だもんね。二入とも頑張ってたから、先生感激した!!」と、ちょっと興奮気味に答えました。
昨日の話し合いの時、同じクラスの学級委員のCさんに「A君は良く教えてくれるし、分かりやすいけど、上から目線だから嫌だ。」と、指摘されたA君でしたが、今日は、終始B君のことを思って一生懸命でした。
友だちの前では弱みを見せたくないB君が、今日は分かった振りをせず、分かるまでA君の説明に耳を傾けていました。
立ち去っていく二人の後ろ姿を見守りながら、私はしばらく廊下に佇んでいました。
「生徒も頑張っているのだもの。私も頑張ろう。」そう思い、深呼吸して職員室に向かいました。
ここ数週間、私は様々な問題を抱えていたからです。

その内の一つにD君の問題があります。
D君は2学期に入ってから不登校になりました。
そのD君の家に数回家庭訪問に行き、彼を学校に連れてきました。
教室には入れませんでしたが、先々週は二日置きには自分で登校できるようになりました。
そして、先々週の金曜日には、一時間だけ教室にも入ることが出来ました。
でも、先週に入って彼はまた登校できなくなりました。
その原因が私にあるというのです。
ある専門機関から、そう連絡があったと聞いて、私は耳を疑いました。
彼には、登校刺激をしてはいけないのに、私が無理をしていると。
その担当者は、まだD君にも一度しか会ったことが無く、私も一面識も無いのにです。
私と彼が、どんなに時間をかけて対話し、彼がどんな様子で一時間の授業を受けたかも知らないのにです。
はじめに彼が学校に来たのは、私が迎えに行ったことがきっかけだったのに、その私がなぜ全否定されなければならないのでしょう。
「それは、何かのまちがいだ。」とは、思ってみたものの、流石に彼の家に行く気がおこらず、他の問題も抱えているので、先週は仕事に行くのがやっとという生活をしていました。
でも、生徒の姿を見たら、休日にゆっくり休養して鋭気を養ったら、また彼の家に行ってみようと思いなおすことが出来ました。
そして、昨日、「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」を観てきました。
福岡県の準新作映画ばかりを上映する小さな映画館で、今週の金曜日まで「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」が公開されています。
6月の公開当時に3度この映画を観ましたが、3ヶ月ぶりに観たら、随分と印象が異なりました。
以前は猟奇的な場面や艶っぽいビョンホンシや人の子に惑わされていたのかも知れません。
あるいは、私の今の精神状態が作用したかも。
とにかく、私は、この映画を観ながら、色々考え、見終わるやいなや、迷うことなく、D君の家に向かいました。
D君の家は、土曜日でしたが、家族は不在で、彼だけが居ました。
彼は、カーテンの隙間から、私を確認すると、ニコニコ笑いながら出て来ました。
「クラスマッチ、来なかったね。」と私が言うと、「行けば良かった。先生、何で今週は来なかったんですか。」と、甘えたことを言います。
今週末は遠足があるので、それには参加するように言うと、「遠足デビューより、その前に行って、慣らしておきたい。」と言いました。
結局、問題が解決したわけではないけれど、私は随分気が楽になって、再び映画館に引き返し、再び「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」を観ました。
すると、今度は、素直に、彼に登校刺激を与えてはいけないという見解の担当者にお会いして、どうすればよいか相談しようという気持ちになりました。

この映画、日本ではヒットしなかったけど、厳しい人生を送っている人の多い国では受け入れられるかも知れないと、ぼんやり思いました。
韓国では、前評判は上々のようですね。→
まずは、韓国でのヒットを祈っています。

映画の詳しい感想は、また後ほど。
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by lee_milky | 2009-10-04 14:16 | +I come… | Comments(2)

肉体が感じる

感動としては、美術展に行ったときのように穏やかだったはずなのに、なぜか「アイ・カム」のことが頭から離れません。
すぐにでも映画館に行きたいし、いつでも誰かと語り合っていたい。。。でも、そうできないのが現実です。

トラン・アン・ユン監督の「観ている人の肉体が何かを感じ、それが感情のどこかに訴えかけられる。そのような伝わり方を理想としています。」という言葉にあてられたのでしょうか。

私は、美術の授業に言葉は要らないと思っています。
でも、映画とは異なり、「分かる人には分かる」授業であってはなりません。
でも、だからと言って「誰にでも簡単に分かる」授業はしたくないのです。
自分で考えなければならない授業。。。それを目指しています。
制作を始めたら、作品は生徒のものだから、直接的な指導は一切しません。
だから、私は、説明を聞かなければ分からない生徒のために、補完の手だてとして言葉で説明します。
制作の前や制作の途中に、ものの考え方や画家の姿勢などをずーっと喋ってる。
でも、それは、あくまでも補完であって、説明自体が目的ではないから、分かったかどうかを更に言葉で測る必要は無いのです。
そもそも、言葉に置き換えたからといって、それを言葉で理解する必要もないのだから。
でも、それは、誰にも理解されません。
同業者に相談しても、そんなにこだわらなくても良いのにと言われるばかりです。

さて、今日は職場で「アイ・カム」の話題が出ました。
今週の日曜日に、同僚のご主人のお母さんと妹さんが、韓流好きとキムタクファンなので、「アイ・カム」を親子で観に行った帰りに同僚の家に立ち寄って行かれたそうです。
お母さんは、「今までキムタクは好きじゃなかったけど、この映画のキムタクは良いよ。イ・ビョンホンの演技もすごかったし、私はこれまで観た映画の中で一番良い映画だと思えたけど、あんまり評判は良くないのよ。」と、おっしゃったそうです。
私は、先の監督の言葉を紹介しながら、「日本は過去のお粗末な美術教育のせいでこういう概念は理解されにくいんですよ。」と説明しました。
すると、同僚の言うことには、このお母さん、美容師をされていて、とても前衛的な方なのだそうです。

その話題が出てから、数時間後、今度はひょんなことから、過去の朝鮮人差別のことが話題になりました。
教頭「当時は韓流ブームが到来するなんて思いもよりませんでしたね。韓ドラなんかは、ご覧になりますか。」
私「はい、時には観ます。」(あはは。真っ赤な嘘です^^;メイルンパヨです^^)
ビョン友ちゃん「時には?うそばっかり。」(小声)
教頭「そうですか。私は、家内に付き合って何度か観始めましたが、全話観たのは一つだけです。ほら、数年前にカジノのドラマやってたでしょ。えーっと、なんて言ったかな。。。」
私「オール・インですか?」
教頭「そうそう、オール・イン。あれだけは観ました。あれは、良かったですね。昔の日活映画を思わせました。男は男っていう感じでね。」
ビョン友ちゃん「教頭先生、それは俳優が良かったんですよ。」
教頭「そうそう、あのギャンブラー役が良かったですね。えっと、何という俳優だったかな。」
ビョン友ちゃんと私「・・・」
教頭「えーっと。えーっと。あっ、イー何とかいう人ですよ。ほら。」
私「もしかして、イ・ビョンホンですか。」
教頭「そうそう、そうです。あの人はすごかったですね。」
ビョン友ちゃんと私「^^」
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by lee_milky | 2009-06-16 23:36 | +I come… | Comments(4)

I Come with the Rain.鑑賞2回目

今日、I Come with the Rain.を見てきました。
今回で2度目なので、前回見逃したところや勘違いしてたところにいくつか気づきました。

まずは、冒頭のシーンですが、あの部屋の右側は、ただとり散らかってるだけでなく、アトリエなのですね。
なぜか、前回はその部分の記憶がすっぽり抜けてました。
イライアス・コティーズさんの二役も違ってた。
シタオ父がドンポの家に来ていた白髪の東洋人というのにも無理がある^^;
きっと、もっともっと見逃したことや勘違いしてることが沢山あるのでしょうね。

でも、それで良いのだと思います。
だって、この映画を見て肌でどう感じたかがやはり重要だもの。
1回目の時書いたように、見終わった直後は、とても静かな感動がやって来て、シンプルに好きな映画だと思ったのに、ネットを散歩したら、あまりに評判が悪かったので、色々分析しすぎたきらいがある。

「観ている人の肉体が何かを感じ、それが感情のどこかに訴えかけられる。そのような伝わり方を理想としています。」
今日、パンフレットの監督談のこの部分を読んでハッとしました。
これこそが、私が日々の授業で理想に掲げているもの。
そうね。監督。
この映画を解釈するのに言葉は要らない。
でも、残念だけど、その考えはこの日本では理解されないかもしれない。
私も、それで苦労してるもの。
きっと、日本でなければ理解されるのでしょう。
そう願いたい。

そんな気持ちを引っ提げて映画を見たら、今回の鑑賞後の私の心の動きは、「監督はすごい。」でした。
全てが初めから計算ずくなのが分かったから。
警察でシタオが全身を写されたこともそう。
救世主を名乗る青年が警察署の壁に金色の十字架を描いたのもそう。
あの全身の写真をクラインがアパートの壁に変わった貼り方をしたのを見て、単純にインドネシアの影絵「ワヤン」を思い出してたけど、クラインは東部の無いシタオの傷だらけの写真から、どうしても過去の猟奇的な殺人事件を思い出してしまうのですよね。
それから、あの青年、磔になったシタオの上にも金を振りかけるでしょ?
それで、ラストの部分でクラインがシタオを助けて連れ去ったあと、金粉がかかっていない部分の地面が十字架を描いてるの。
あの青年がやたら金を振りまいたり塗ったりするのはこのためかと最後の最後に思った時、鳥肌が立ちました。

あと、計算ずくなのか、便宜的なのか分からないのは、クラインが警察に立ち寄った時、シタオだけでなくドンポも居合わせたこと。
ひとの子ではドンポに当たる登場人物は居ないのですが、シタオに相当する人物は善であり悪であるから、警察で取り調べを受けてるんですよ。
結局は殺人犯なのだけど。
だから、もしかしてドンポはシタオの分身?なんて思っちゃいましたけど、意外に、あそこで登場させれば、メンジーとドンポの説明が一度に片づくからだったりして^^
そのあたりは、パンフでは分からなかったけど、今日買ってきた「T」を読めば分かるかしら?
次回は「T」を熟読してから観よう。

ところで、今回、キムタクの演技にも慣れました。
私が抵抗あったくらいだから、ファンは大変でしょうね。

ビョンホンシはやっぱり背中で語るよね。
リリが帰ってきた時のドンポの背中、ミンチョルでした~。
あの紫の背中にぞくぞくしたわ。
背中を見せながら、黒いサスペンダーをはずされた日には、もう。。。いや~~~ん♪リリーが羨ましい。
あとね。クラインの台詞に反応したのは「地獄を観た。」でしたね。
あのシーンの表情も良いです。
あのピクッが。。。
G.I.Joeでは細かな演技は要らないと言われたそうですが、ビョンホンシ、意外に監督にも気づかれないところでほんのちょっとしたところで演技してるかも?なんて、あの表情見て思いました。
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by lee_milky | 2009-06-14 21:55 | +I come… | Comments(14)

I Come with the Rain.鑑賞1回目

I Come with the Rain.やっと見てきました。
結論から言うと、私、この映画かなり好きです。
もしかしたら、今まで見た映画の中で最も好きかも。
うん?
「おくりびと」を観たあとにも同じ様なこと言ったかもしれない。
つまりは、私の中で、「おくりびと」を軽~~く越えたって訳。
映画を見終わったあとの感情は「パパイヤの香り」や「夏至」を観た時と同じ、静かで穏やかなんですよね。
なんか、こう身体の中にスーッと入って来たって言うのかな。
まあ、それは、ラストの部分で「結局誰も不幸になってないよね。」って思えたのが大きかったからかもしれませんが。
とにかく、あまりにもなじみすぎて、映画を観ている最中は、ビョンホンシが美しすぎる~とか、演技がすごいとか思ったこと以外はほとんど何も考えずに観ました。
とにかく、理屈抜きに好きでした。

でも、ネットをウロウロしてたら、この映画意味不明みたいなことがあちこちで書かれているので、そんなことは無いと思って、あれこれ考えてみました。
これから、そのことを書こうと思います。
相当色々考えたので、かなり長くなると予想されます。
また、映画を見終えてから数時間経過して、反芻したことに基づいて書きますので、勘違いもあるかもしれません。
でも、今の心境は、語らずにいられないって感じです。
どんなことでも結構ですから、お読みになったら、ひと言コメントをお願いします。
それぞれのI Come with the Rain.を語り合いましょう。

☆☆☆


確か、ビョンホンシは、「トラン・アン・ユン・監督は芸術性の高い映画を作る監督だけど、今回はエンターテイメント性のある作品になっている」といったようなことを、いつか言っていたような気がします。
でも、私は、むしろこれまでに見たこの監督の2作品よりも更に芸術性の高い作品に仕上がっていると思いました。

それは、やはりこの監督特有の絵画的なカメラワークや色使いの美しさに起因しているようです。
とにかく、この映画にはまるで絵画のようなシーンが多かったです。
見慣れた絵画や彫刻や写真を彷彿とさせるシーンも多用されていましたし。
例えば、冒頭の、私立探偵のクラインが刑事だった頃、猟奇的殺人犯のハスフォードの館でクラインがハスフォードに噛みつかれるシーン。
二人を境に、右側はとり散らかっている床が色鮮やかで、逆に左側はグレーだったかホワイトだったかちょっと思い出せないのですが、とにかく無彩色の壁で、その対比がみごとなのですよね。
その有彩色と無彩色の狭間にクラインが倒れていて、その上をハスフォードが押さえ込んでるの。
このセットは、ラスト近くにも出てくるのですが、その時は、白いシャツを着たクラインがグレーの壁の前に座っていて、右手奥に少しだけ派手に散らかった床が見えるのですね。
そして、ついでのようで申し訳ないのですが、クライン刑事のその時の表情が良いんだわ。
なんだか、演技を越えている感じの表情で。
だからなのか、モノクロが連想させるのか、このシーンはロバート・キャパの報道写真を思わせます。

また、誤解を恐れないで書くと、私、ハスフォードが人体で造ったという彫刻に引きつけられました。
なにせ、ロダンのトルソを思わせるオブジェがずらり。
しかも、このオブジェ、アップよりもクラインやハスフォードのバックの片隅にある時にさらになまめかしいような。
もしかしたら、このオブジェのフォルムが先にありきではなく、人物のバックに見えるカオスを表すためにわざわざ造ったの?と考えたほどです。

そして、フィリピンのジャングルの緑の美しいこと。
トラン・アン・ユン監督ここに有りって感じ。
フィリピンがとても美しい国だと勘違いしてしまいそうでした。
クラインはここフィリピンで、ある片目の男と会うのですが、もしかして、この男ってハスフォード役のイライアス・コティーズさんの二役ですか?
クラインに射殺されたハスフォードが生き返ったかと思ったのですが、これは、私の大きな勘違いかもしれません。

次に、舞台は、フィリピンから香港へと移ります。
不可思議なのは、息子を捜してくれと依頼したわりに、常にシタオの居場所を提供するのはシタオの父。
この疑問は映画の中盤で更に次なる疑問へと発展します。
さて、香港に来たクラインは、昔の刑事仲間のジョー・メンジーに会いに行った警察署でス・ドンポとシタオに遭遇します。
このシーンは、この映画製作のきっかけになったといわれているイ・ムニョル著「ひとの子」の冒頭のシーンに酷似しています。
クラインに相当する刑事ナム・ギョンポは、シタオに相当するチョー・ドンパルが小さな暴力事件を犯して警察に連行された時に会っています。
しかし、後にナム・ギョンポが追うことになる殺人事件の容疑者がこのチョー・ドンパルであることは終末になるまでギョンポにも読者にも分かりません。
同じように、クラインも映画の中盤まで自分の探しているシタオに既に会っていたことに気づきません。
私達は、シタオの役所もシタオ役のキムタクもよ~~っく知っているので、この男がシタオであることにはすぐに気づくのですが、キムタクをよく知らない国の方がこの映画を観たら、どうでしょうか。
気づかないかも知れませんよね。
だから、余計にハスフォード=フィリピンの片目の男?と思ったわけです。

このシーンの後だったでしょうか。
ス・ドンポの映像が出てくるのですが、台詞がないせいか、映画と言うより、まるでLBH MEETS LBHのメイキングのようでした。
とにかく、どのビョンホンシも美しかったです。
ところで、このス・ドンポ。
マフィアのボスという設定ですが、「人間」を表しているのではないでしょうか。
勿論、これはシタオ=キリストに対してドンポ=人間という意味ですが。
何故、そう思ったのかというと、リリを人質にして逃げた男を取り逃がした手下を、白い袋に入れて上から金槌でめった打ちにしますよね。
これって、戦争する人間を表してるのじゃないの?と思ったわけです。
それも、刀や鉄砲を持って目の前の相手を倒す昔の戦争でなく、敵の顔が見えない近代的な世界大戦でほとんど無感動のまま殺人を犯す人間のことです。
相手が見えないようにして金槌でめった打ちにする行為は、ナチスドイツがユダヤ人の名前を隠し、ナンバーで呼ぶことによって、殺人の現実味を無くしてガスで大量虐殺した行為にダブります。

また、シタオ=キリストは、映画を観る前からなんとなく分かっていたことだけど、シタオの住みかを突き止めたクラインが「この小屋はホームレスのものではない。ホームレスなら、もっとものが沢山あるはずだ。」と言ったのを聞いて、この小屋は、キリストが生まれた厩だと確信したんです。
そして、この厩でリリはシタオ=キリストを産んだの。
つまり、リリ=マリア。
リリは麻薬中毒で、シタオはそのために自分の身を投げ出してリリを麻薬から救うのだけど、その時のリリの声が出産の時の声そのものなんですよね。
リリの着衣が必要以上にはだけるのもそのためなのじゃないかとも考えました。
果たして、産みの苦しみを経て麻薬から解放されたリリは、自分のために傷ついたシタオを(生み)沐浴させる。
それが、リリが水で濡らした布でシタオの顔や身体を拭くシーン。

キリスト、マリアと来ればヨハネは誰?ってことになるのですが、それはやはりシタオの父。
父は、映画の冒頭で声だけしか出ないのですが、もしかして、中盤でドンポと接見していた東洋人の白髪の男がシタオ父?
これは、この男の台詞を聞いて、そう思ったわけですが、なんと言ったかは、正直全く思い出せません。
でも、確か全ておみとうしな感じがしたのですよね。
それが、シタオの父が捜索を依頼しながらも、情報提供者だったことと繋がったんです。

シタオはドンポに言いますよね。
「あなたのような人は、僕を恐れる。」って。
でも、そのシタオがドンポとも繋がっている人間の父親を慕って、「ファーダー」って呼ぶ。
つまり「ひとの子」なんだなと思いました。

それから、ドンポがシタオに言ったのと同じことをクラインがドンポに言いますね。
そのために、ドンポはクラインにシタオの居所を教えるわけですが、この台詞はすごく意味があると思ったのに、映画を観て数日経過したからか、思い出せません。
<追記>
思い出せなかったドンポとクラインの同じ台詞をコメ欄で教えて頂きました。
「貴方が知らないことを経験している。」
そうです。そうです。
この言葉をクラインが言うのを聞いて、クラインにシタオを助けに行かせるのですよね。
これは、何故なんでしょう。
自分の身代わりとしてクラインを遣わせたのかしら?
つまり、自分自身がシタオを助けたのと同じ?


最後に3人の美しい男に言及したいと思います。
まず、キムタクですが、もっと美しく苦悩する演技をしても良かったのではないかと思いました。
昔、少女マンガで不細工だという設定の女の子を本当に不細工に描く漫画家にはなじめなかったのを思い出しました。
キムタクは、やはりカッコ良いままで良かったのではないかしら。
唯一キムタクがカッコ良いと思えたのは、シタオの捜索のために使った顔写真。
あるシーンでその写真が床に落ちていて、その目がスクリーンのこちら側を観てたんですよね。
それにドキッとしちゃったよ。
キムタクは俳優でなく歌手だから、演技より写真の方が良いのかな。

次にジョシュ・ハートネット。
私、この方、今回の映画のプロモーションで初めて見ました。
映画の彼はプロモーションの時より痩せててカッコ良かったし、最も自然な演技だった気がします。

最後に、我等がビョンホン。
もう、あまりに美しくて、映画を観ながら、何度も監督に感謝しました^^
それに、台詞のない演技はビョンホンシの真骨頂だもんね^^
あの、ちょっとした目の動きとか、涙とか。
いろんな意味で、ビョンホンシのファンで良かったと心から思えた映画でした。

またまた、公私共に忙しくて、2回目は未だ観られませんが、この先、何度も観たいと思っています。
ドンポ、待っててね。
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by lee_milky | 2009-06-13 00:47 | +I come… | Comments(10)

痛みの中にも美

数ある情報の中で、私が最も心惹かれたのは、この記事
早速、昨夜アイ・カムのトップにリンクを貼り付けた。

そして、今朝、テレビで村上春樹の「1Q84」の話題を目にして、村上春樹→ノルウェーの森→トラン・アン・ユン監督→アイ・カム・ウイズ・ザ・レインつながりで、この記事を想起し、自分自身でリンクをクリックしてみた。
「私にとって最も重要なのは、美。ただ、映画の美は、自然に存在する美とは異なる。映画の真の美とは、個々の心の中に深く強く残る何か。そして、今の時代、私たちの心に最も強く響くのは、我々が生きる世界の痛み。残酷さ、おぞましさの中にも美はあるのです」
そのくだりを読んだだけで、映画への期待がふくらむ。
さらに、サブタイトルの「『痛み』の中にも美」から日本画家松井冬子を想起した。
この夏、東京に行く予定があり、その時、足を延ばして彼女の作品を見てみたいと思っていたのだ。
ますます映画への期待が高まる。

村上春樹の久々の書き下ろし作品「1Q84」が売れに売れている。
村上春樹のファンは30~40代の男性に多いそうだ。
「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」集客のキーマンは、キムタクでもビョンホンでも無く、監督かもしれない。
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by lee_milky | 2009-05-30 08:26 | +I come… | Comments(0)

「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」ワールドプレミアに行って来ました。

「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」4都市同時開催ワールドプレミア。。。に行って来ました。

チケットは無かったのだけど、あきらめきれず、部活をさぼって5時ダッシュして会場まで行きました^^
だって、ここ福岡での開催地は「都市???」ってな感じの田舎にあって、うちの職場から車を飛ばすと45分で着くのだもの。
しかも、夕方の5時過ぎだというのにラッシュ無し^^

が、しか~し。
やっぱり今回ばかりは入れてくれませんでした^^;
昨年の夏、釜山でチケット無しで舞台挨拶の会場に入れたもんだから、甘く見てたかも?
ここは「日本」を実感^^;

で、さっさとあきらめて、帰宅。
会場から自宅までは車で30分。
だから、いつもの帰宅時間より早かった^^

しょんなかですバイ。
明日のワイドショーチェックですかね^^

ところで、お仲間さんよりレッドカーペットを見せて頂きましたが、凝った造りですね~。
今回、急だったわりには、プロモーション派手だよね~。
これだけやってくれたら、入りも良いかな?

<追記>
早くも記事が上がってきました。→   
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by lee_milky | 2009-05-27 20:20 | +I come… | Comments(8)

マスコミ試写会

断る必要もないと思いますが、私が「マスコミ試写会」に行ったわけではありません。
それどころか、プレミアム試写会のそれもビョンホンシの来ない福岡のチケットさえ届きませんでした^^;

では、何故今更、「マスコミ試写会」なのかというと、マスコミ試写会に行かれた方のブログ記事をよ~く読んでみたら、もう、ビョンホンシが出るとか出ないとか関係なく、さらに期待が高まってきたのですよ。
やっぱり、プロは違うなぁって、心底思いました。
そこで、勝手にリンクさせて頂いて、私のコメントを付けてみました^^
この記事を公開後、各お部屋をもう一度回ってコメントしようかと考えています。

映画の話でコーヒーブレイク
なるほど、キリスト教は砂漠の国で生まれた宗教ですものね。
この春、「儒教とは何か(加地伸行著)」を読んだのですが、この本の中に、中国・朝鮮・日本のような温暖な気候の国には、キリスト教や仏教やヒンドゥー教などの厳しい気候条件の中で生まれた宗教は真の意味では根付かない。日本人が仏教だと思っていることの多くは儒教だ。」というくだりがあって、日本人には、現世が苦しいから来世や天上に理想を描く発想は理解できないということなのですが、まさに、日本人には「恵の雨」という発想は希薄ですから、この解説がなければ、このタイトルの意味も理解できませんよね。
>じゃあ、この映画を紐解く鍵はタイトルにあるのでは?と、
「I COME WITH THE RAIN」と聞いて何を思い浮かべるかとクリスチャンの友人に聞いてみました。
この記事のこの部分、すごいと思います。
それこそ、私にはない発想です。
今までタイトルの意味を深く考えたこともなかったけど、シタオが雨と共にやってきて人々の傷を癒すってことなのでしょうか?
実は、あの肉塊はシタオが人の傷を癒す過程で変化するのかと思っていたのですが、どうやら違うみたいです。
死体をアートに?
誤解を招くかもしれないのですが、私、この感覚、分かる気がするのですよ。
ちょっと、表題は忘れましたが、以前「神戸連続児童殺傷事件」関連の本を数冊読んだことがあって、その時、「周りの大人が、少年に自由に絵を描かせていたら、この事件は起こらなかったのではないか。」と思ったものです。
ゴッホが自分の耳を切るのにも通じる気がするし。

なんだか、わけの分からないことを書いてしまいましたが、とにかく、このブログ主さんは、けしてこの映画を高評価していらっしゃるわけではないのですが、私的には、この記事を読ませて頂いてますますこの映画に期待が高まったわけです。
ただ、最後のくだり「脱いだら、すごい」は、ビョンホンファンなら誰でも知ってる・・・今は既にこんなもんじゃないですから~((((爆))))

MIRO'S BURGER
記事のタイトルが「衝撃的☆」です。
こちらは、内容についてはほとんど触れられていませんが。。。
>早く皆の感想が聞きたいな~\(^o^)/
ぜひ映画館の大きなスクリーンで体感してほしいです♪
。。。ってことで、高評価ってことでしょうか?
>美しい変貌・・・あ~、期待が高まりますっっ!!

アジアN.の小部屋
>期待度と注目度の高さではピカイチでしょーな。。
お~、これは嬉しいですね。
ブログ主さんは好きだと書いて下さってます。
ビョンホンに関する記述も最も多いし、甘い人生も観てらっしゃるのですね。
試写室の様子も分かって非常に興味深かったです。
それにしても。。。
>「映像」ってアート(芸術)なんだと思い出させてくれる作品でもありました。
ビョンホンシは、これまでのトラン・アン・ユン監督作品とは随分質を異にしていると言っていたと思うのですが、やはり芸術的なんですね。
まあ、比較の問題なのでしょうが。
なにせ、私は、「この監督は画家だ。」と思いましたから。
以前、伺った時には無かった写真が上がっていましたから、みなさんももう一度足を運んでご覧下さい。
webに上がってる写真がビョンホンシのものが多かったので、単純に喜んでいたのですが、ジャニーズが著作権に厳しいから上がっていないのだということもわかりました。
まっ、私達ビョンホンファンにとっては嬉しい限りですが。

映画評論家 兼 弁護士坂和章平の映画日記
何故に邦題が「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」?って思っていた謎が解けたような。。。
「美しいベッドシーン」「タイトルの意味」「クローズアップの多用」「キリスト教の受難」これらのキーワード。。。ミルキー的には、もう、これだけで期待度100%!!

Cinema で Psychology
原作とも言われている「ひとの子(イ・ムンヨル著)」とトラン・アン・ユン監督の「青いパイヤの香り」を想起させる評論のような気がします。
>テーマが明確。。。いくら明確でも、こちらにレディネスがなければ理解できないでしょうね。
う~~~ん。自分にそれが出来るのか?
まあ、勘違いも理解のうちだそうなので、映画を観る時は、テーマを読み取る努力をして来ようと思います。

以前、この映画評価が別れる映画だという記事をどこかで読んだ気がするのですが、やはり、こうしてマスコミ試写会の感想を読ませて頂いただけでもその片鱗は見えますね。
でも、HEROに引き続き、ビョンホンシが主役でないので、そういう意味では気楽に観られるわぁ~。
主役だと、もう、興行成績が気になって、完全に身内の気分になってますからね。
身内と言っても、オモニ目線でなくオンニ目線ですからね。
念のため^^
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by lee_milky | 2009-05-26 10:33 | +I come… | Comments(0)