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宮本輝著「ひとたびはポプラに臥す〈4〉」(講談社)

話は、そのサイトでの私の書き込みに戻りますが、
私は、「知らないこと、考えないことは罪だ。」と思っています。
だから、そのサイトに多くの人が、「私は、日本で韓国人に対する差別があったことを知らない。」とか「私は元々日本が嫌いだから大丈夫。」とコメントしていることが耐えられませんでした。
差別の実態を知らないからそれでよいとか、自分の国を嫌いだからあなたが私の国をきらっても大丈夫というのは、あまりにも幼すぎはしないでしょうか?

しかし、これも、戦後日本のあまりにもお粗末な思想教育のせいだと私は思っています。
自国の戦争責任にふたをして、そこに触れないでおこうとした国の施策と、共産圏のイデオロギーに共感し、道徳教育を諸悪の根元であるかのように取り扱ってきた現場の教員の思惑によって、作り上げられた現代の日本人。
自国を好きになれないで、世界の国を好きになることができるのでしょうか?

ところで、私がその考え方に深く共感した一冊の本があります。

宮本輝著「ひとたびはポプラに臥す〈4〉」(講談社)
この著書に次のような一節があります。
焼け野原となった日本を実質的に統治したマッカーサーがきわめて重要視したのは、「日本人に道徳教育を与えない」という一点であったのだと、その人は教えてくれたのだ。
それが何を目的としていたのかは、明らかである。
終戦後に道徳教育を必要とする年齢に達していた人々は、今何歳くらいになっているのだろう。
年長の人で、65・6歳。
当時、小学生になったばかりの人で56・7歳。
たとえば、その年齢枠にだけ限って考えれば、占領政策の重要骨子の洗礼を最初に受けた人々が産んで育てた子どもたちは、おおむね40歳から30歳あたりに達していると推定される。
そして、さらにその世代が産んで育てている子どもたちが、現在の小学生、中学生、高校生を形成しているのだ。
まさに、イジメ、不登校、校内暴力、援助交際と言い換えられた売春などが、堰を切ったように行われている年代ではないのか。占領政策は、20年、50年、いや100年先までも見越して練り上げられたのであろうから、日本の次代を担う人間達の精神的衰弱だけに的を絞って考えても、占領政策の戦略は、現代日本において見事なまでの結果を出したと言える。
私は再び、ファーブルの「昆虫記」について思いを巡らせてしまう。
紋白蝶の青虫の体内でミクロガステルの幼虫が孵化する。
その幼虫は、青虫を殺さないよう、実に微妙な調整をしながら、青虫の体液や血を吸って成長していく。
そして、自分たちが青虫の体内から出てもいい段階で、青虫にとどめを刺すように、その最後の体液の一滴を、血の一滴を吸うのだ。
けれども、ミクロガステルは、青虫の体内に卵をを産み付けるのではない。
青虫が卵だったとき、既に恐るべき周到な侵略が行われている。
卵の中に卵を産み付けているのだ。
立派な大人のいないところで、子どもが立派に育つはずがない。
これは物の道理というものであろう。
イギリスの作家・ヒルトンは「グッバイ、ミスター・チップス」という小説で、謹厳な一人の教師を通して、教育とは何かを我々に教えている。
チップス先生の教室から巣立って行った少年達の多くは、社会に出た後、それぞれの分野で名をなしていった。
チップス先生のクラスに入れられているのは、ほとんどが「悪ガキ」で、規律の厳しいその学校では困り者達だったのだ。
今は、引退して年老いたチップス先生に、ある人が問う。
どうして、あなたの教室の子どもたちの多くは、社会であんなにも活躍しているのでしょう。
どんなことを教えたのですか、と。
チップス先生は、こう答える。
「私は何も教えてはいない。ただ、紳士とはいかなるものかを教えただけだ。」
日本人に道徳教育を与えない政策が、戦後50年を経て結実したのをファーブルが目にすれば、それもまた「生の学理的強奪」と感嘆することだろう。
by lee_milky | 2006-03-09 00:02 | Book Review | Comments(0)
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