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徹子の部屋

このレビューは、ビョンホンシとは一切関係ありません。
ましてや、今週火曜日の「徹子の部屋」のレビューでは、決してありません。
結局、録画できてなかったらしく、未見です(泣)し、色んなところでレビューが挙がっていますので、今更ですしね(苦笑)



ミルキーは、幼い頃から、3度の飯より絵を描くのが好きな子でした。
今でこそ、教員なんぞをやっていますが、小学校2年生くらいまでは、お勉強も出来ず、スポーツは未だに出来ず、あの漫画「じゃりン子チエ」のお友達の「ヒラメちゃん」みたいな子だったんです。
だから、幼い頃から、自分の将来といえば、「画家」以外には考えられなかったのです。
これは、父方の血を受け継ぐのか、母方の血を受け継ぐのか分かりません。
というのも、母方の大叔父はプロの画家でしたし、父も幼い頃から画才に恵まれ、若い頃は、和菓子職人の修行をしていたのです。
これは、「画家」を志す私にとって最高の環境のようでしょう?
でも、それが、全く違うのです。

その原因は、第2次世界大戦にあります。
戦争になり、画家であった大叔父は、まず、バンダナに長髪というなり格好で「非国民」のレッテルを貼られ、ついには、日本の行く末を憂い、戦争反対を唱えて、自ら命を絶ったのです。
この大叔父が上野の美術学校に通うための学費は、祖母の婚家である母の実家から出ていたそうですから、この大叔父の死によって、祖母がどれほど肩身の狭い思いをしたかは想像に難くありません。
一方、父は、終戦後、砂糖の全く手に入らない状況下で菓子作りが出来るわけもなく、画工(カラー印刷の版下を作る職人)に転職しました。
母と結婚した当初は、腕自慢の職人で羽振りも良かったようですが、その後の日本経済の急成長とともに、印刷業が機械化され、職を失ったために、近代化の進んだ都会から追われるように、職を求めて、一家で、機械化の遅れている田舎へ田舎へと移り住んでいたのでした。

そんなわけですから、私が幼い頃は、「画家になる」と言っても、特に何も言わなかった両親も、高校に進学したころから、「画家は駄目」と言いはじめました。
はじめは、「絵は趣味で描けばよいかな。」と、親の言うことを素直に聞き、国文科志望に方向転換したのですが、次第に「女の子だから、家政科にしたら?」とか「短大の方が良いのじゃない?」と、親の要求が強くなり、ついに受験を目前に控えたある日、爆発してしまいました。
そして、共通一次も受けず、合格するはずのない芸大だけを受験し、浪人を決め込みました。

浪人すると言っても、もとより、両親は私が芸大に行くことを反対しているわけですから、予備校に通わせてくれるわけもなく、人に聞かれれば、「大学にも行かず、就職もしないで、ぶらぶらしていますから、どこかによい就職口があったら、紹介して下さい。」とお願いしていたほどでした。
筆記試験は、自学するにしても、デッサンだけは習いに行かなければなりません。
そこで、私は、受験料とデッサンの受講料を稼ぐためにアルバイトを始めました。
かくして、夜4時間ほどアルバイトをし、帰宅してから朝方まで勉強し、昼過ぎに起きる生活が始まりました。
昼過ぎに起きて、テレビをつけると、「徹子の部屋」が始まる。
そんな生活でした。
その「徹子の部屋」を観ながら、私にはある疑問が芽生えました。
「徹子さんは、何故、毎日のように、ゲストに共感し、感動することが出来るのだろう。」
徹子さんの所作にわざとらしさも感じ、この番組を観るのが次第に嫌になってきました。
そんなある日、お名前は、ちょっと思い出せないのですが、はじめは芸大を目指して、大道具から演劇の道に入り、俳優になった年配の男優さんがゲスト出演されました。
私は、この俳優さんの話を涙ながらに聞きました。
なぜなら、当時の自分の生活と、その俳優さんの昔話がオーバーラップしたから。
徹子さんは、いつものように、感嘆しながら、話を聞いていらっしゃいました。
私は、その時気づいたのです。
「徹子さんは、色んな事を経験されているから、どんな話を聞いても感動することが出来るのだ。」と。
自分が経験したことは、その苦労が分かるから、話し手に優しくなれるし、感動も大きいものです。
私が、その日から、「徹子の部屋」が大好きになったことは言うまでもありません。
そして、私は、その日から、人に共感できる人になれるよう、出来るだけ色々なことを体験し、出来ないことは本を読むように心がけるようになりました。
やってみれば、人の苦労が分かり、人に優しくなれます。

それは、特別なことではありません。
例えば、今私がやっている事は、生徒と一緒に体育祭のダンスの練習をすること。
そうすれば、このダンスがどれほど難しいか。
炎天下で、何度も踊るのが、どれほどきついかが分かります。
そうすれば、生徒に優しくなれます。
(心の中では。)
実際には、真っ先に大声で怒っているのですが(苦笑)

私は、今でも欠点が多いですが、あの時「徹子の部屋」を観ていなかったら、もっともっと嫌な人間だったと思います。
だから、徹子さんには、言葉では言い尽くせないほど感謝しています。
by lee_milky | 2006-05-13 00:59 | Comments(14)
Commented by えりこ at 2006-05-13 05:42 x
おはよう
素敵なお話ありがとう!
一回徹子さんを見かけた事があります。
あの厚化粧でリックを背負い風のように
さっそうと歩いて行ったので誰も気が付かない
みたいでした。
私はジューススタンドでずーと見ていたの
解りましたが。。。
スターも早足で歩いていれば気が付かない
だな~と思いました。
ビョンホニーに偶然逢いたいな~~
Commented by たよこ at 2006-05-13 09:26 x
milkyさん おはようございます
徹子さんってかなりの年齢だと思うのですが、感性が時代にブレテなくてそして先走らない。
人の話をきくことはたいへんです。その人の経歴のチェックしたり、下準備がないとお話できませんよね。(翌日は緒方貞子さんがゲストでした)
週5日続けることは、生活がそのために全部費やされます。
時間の使い方がお上手なんでしょか?私みたいにぼ~~とした時間は絶対ないと思います。
人の経験を自分に置き換える・・・できそうで難しいこと。
自分のことだけ考える人にはなりたくないのですが、自分本位な自分が見えます。
しかし、徹子さんもうやめるという話があったように思ったのですが、いつの間にか消えましたね。
Commented by みなとみらい at 2006-05-13 10:58 x
ミルキーさん、おはようございます。
「徹子の部屋」に↑のような感慨をお持ちだったんですね。
ミルキーさんのチャレンジ精神に今更ながら感服です。
「徹子の部屋」以前はよくみていたのですが、徹子さんの感覚と私のとに
ずれを感じてから、9日に久しぶりにみてカツセツの悪さにお年を
感じてしまいました。

週五日下調べをしてのインタビュー大変なお仕事ですよね。




Commented by みずき at 2006-05-13 15:20 x
milky さんこんにちは。
ミルキーさんの今日に至る過程の一部を拝見し、すんなりと教育学部の特美出身ではなかったのですね。その時期を経て今があり、懐かしいような良い思い出ですね。人には歴史ありと言いますが、私たちのような平凡な者にもそれなりの歴史がありますね。「徹子の部屋」に対する想い、そのような事があったのですね。「聞いて見なくては分からない」とはよく言ったものです。
9日の「徹子の部屋」は皆さんのコメントに「そう、そう」で、本当に「徹子さん、ビョンホンさんどうしたの?」でした。
ペさんの時は時間もたっぷりでしたし、韓国まで取材に行かれてでしたし。シウォンさんの時はVTRが入ってましたが、シウォン君が日本での活動に慣れていて上手くソフトに付き合っていましたね。ビョンは徹子さんの顔にビックリしたのかな?まあステキなビョンホンさんを見られたので満足です。
Commented by lee_milky at 2006-05-13 17:14
☆えりこさん、こんばんは。
>ビョンホニーに偶然逢いたいな~~
本当に、そんなことがあると良いですね。
でも、徹子さんでさえ、緊張してしまうBHssiですもの。
私たちがあったら、卒倒するかも知れませんね。

それにしても、徹子さんを見かけられたことがあるなんてうらやましいです。
もし、徹子さんにお会いできるチャンスがあったら、お礼を言いたいな。
Commented by lee_milky at 2006-05-13 17:18
☆たよこさんこんにちは。
>感性が時代にブレテなくてそして先走らない。
あぁ、そうですね。
だから、こちらも聞いていて心地よいのかしら?
私、タモリさんも好きですが、すぐ、自分の話になってしまって。
反面教師にしています(苦笑)

>しかし、徹子さんもうやめるという話があったように思ったのですが、いつの間にか消えましたね。
そうなのですか?
今では、視聴する機会もあまりありませんが、もっともっと続けて頂きたいです。
Commented by lee_milky at 2006-05-13 17:22
☆みなとみらいさんこんにちは。
あちこちのサイトにも書かれていましたが、滑舌、そんなに悪かったのですか?
それは、魅力のせいではなく、みなとみらいさんは、徹子さんのお年のせいだと読まれたんですね。
ベストテンの頃からは考えられないことですよね。

滑舌、寝不足や疲れでも、悪くなりますよね。
私も、時々、一日に何度もかむときがあります。
Commented by lee_milky at 2006-05-13 17:24
☆みずきさん、こんにちは。
>ビョンは徹子さんの顔にビックリしたのかな?
え~~~?
そうなの?
そんな感じでしたか?

>まあステキなビョンホンさんを見られたので満足です。
あはは。ファンにとってはそうですよね~。
Commented at 2006-05-13 21:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lee_milky at 2006-05-13 21:23
☆at 2006-05-13 21:11さん、こんばんは。
皆さんは、徹子さんが、緊張したせいととらえていらっしゃったようですが、非公開さんは、また違った原因をお考えなのですね。
いずれにしても、お話が盛り上がらなかったことだけは事実のようですね。
徹子の部屋、結局観られませんでしたが、ある方が、ビョンホンシの部分だけをつないで下さったものがあるので、これから観ようかとお思います。
「ちい散歩」も、Love IBHで、短くなったのを観ました。
ミルキー地方では放送がなかったのですが、非公開さんの所では、放送されたのですね。
うらやましいです。
Commented by どーなつ at 2006-05-14 00:03 x
「自分の夢」の為に必死で努力する。
素晴らしいですね~。
人間。「反対される」ことによって、本当に自分にとって大切なものに気付けたり
「なにくそ~~~っ!」って、頑張れたりしません???
↑のお話を読んで、milkyさんって
大叔父様から「絵の才能」もだけど
「まっすぐな気質」も引き継がれたのではないかしら?(笑)
Commented by lee_milky at 2006-05-14 00:59
☆どーなつさん、こんばんは。
>人間。「反対される」ことによって、本当に自分にとって大切なものに気付けたり
「なにくそ~~~っ!」って、頑張れたりしません???
あはは。
私は、人生のターニングポイントごとに、親の反対を押し切っていますから。
どーなつさんの所もそうだったわねぇ(笑い)
>大叔父様から「絵の才能」もだけど
「まっすぐな気質」も引き継がれたのではないかしら?(笑)
まっすぐかどうかは分かりませんが、夜っぴて遊ぶ性質は、受け継いでるかも?
もう何十年も前の話ですが、北原白秋の生誕?100周年だったか何かで、地方局で特別番組があったのだけど、白秋の友達だと言うことで、この大叔父の調査のために祖母の生家にテレビ局が来たというので、母の実家が大騒ぎになり、親戚一同、その番組を観たのだけど、「白秋は、この大叔父に出逢わなかったら、もっと多くの作品を残したのではないか」という、悪役扱いだったの。
二人で、夜っぴて放蕩三昧だったらしいです(苦笑)
Commented by cm at 2006-05-15 03:10 x
milkyさん
大叔父様がもしご健在だったらどれだけの影響を日本文化に与えておられていたかと思うと、かえすがえす残念だと思いました。多くの次代を担う人材が、反戦の為また実際に戦場で命を落とされましたが、その方々がおられたら今とはどんなに違った日本になっていたのだろうかと考えることがよくあるんです。団塊の世代すれすれなもんで・・
私も山あり谷ありの人生ですが、お若くてふんわりしたイメージのmilkyさんにもいろいろおありだったんですね。とってもあったかくて柔らかい雰囲気の貴女からは先生という感じを受けませんでしたよ。
私にはまだそのイメージが残っているようですが・・・(苦笑)長年しみついたものってなかなか消せませんね。今はBHssi初めいろんな人のおかげで随分性格かわりました。息子と言っていいくらいのピにまでキャーキャー言ってるし、人生楽しんでます。




Commented by lee_milky at 2006-05-16 03:38
☆cmさん、こんばんは。
プロの画家といっても、そんなに有名な人ではなかったのですが、cmさんのおっしゃるとおり、戦争の犠牲になって命を落とされた方々がおられたら、日本は、もっと違った国になっていたのでしょうね。
>ふんわりしたイメージのmilkyさん
cmさんとは、はじめに実際にお会いしてから、ここでのお付き合いが始まったという、特異なパターンでしたから、こう言って頂けるのかも知れませんね。
私がネットでのお付き合いの方によく言われるのは、「怖い。」とか「堅い。」とかいうイメージです。
「思ってたより柔らかい雰囲気だった。」とも(苦笑)

>人生楽しんでます。
これが一番ですよね。
私も、BHssiに出逢ってから、人生の楽しみ方が上手になった気がします。
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