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実録KCIA~南山と呼ばれた男たち(金大中氏事件)

映画になるであろう部分の紹介は終わったのですが、この本一冊で韓国の?がいろいろ解明したので、続けて紹介していこうと思います。

解明したことのうちの一つが「金大中氏事件」です。
1973年8月8日。
東京のホテルグランドパレスから韓国人の金大中氏が拉致された事件。

日本では連日のようにこの事件が報道されていましたが、未だ中学一年生だった私には、いったいどんなことが起こったのか、皆目見当もつきませんでした。
まあ、当初は誰にも見当がつかなかったわけですが。

ただ、「きんだいちゅうしじけん」という言葉が耳に残っていて、後にこの金大中さんがキム・デジュン大統領になった時、ああ、あの時拉致された人かと感慨深く思ったものです。

実は、この金大中氏事件の首謀者も南山の部長だったことを今回初めて知りました。
いや、当時もニュースで知ったのかもしれませんが、なにせ、KCIAがどんな組織かも知らないわけですから、
ただでさえ社会が苦手な中学生の私の記憶に残っていないのは、当然と言えば当然かもしれません。

金大中氏は1971年に大統領選に朴正煕批判勢力の代表として出馬し、
朴大統領の三選を許したものの、得票数は朴大統領のそれに肉薄しました。
選挙には負けたものの、手段を択ばない現役の独裁者にこれほど迫ったということは、実際には金大中氏の圧勝だったということは周辺の者のみならず、朴大統領自身にも分かっていたはずです。

このためか、選挙後まもなくして、金大中氏は韓国内で何者かによってトラックに撥ねられます。
九死に一生を得た彼は、暗殺されるのを回避するために事実上亡命し、アメリカや日本を行き来し、反朴政権活動を展開していました。

彼の海外での活動を止められない朴大統領は当時の南山部長李厚洛(イ・フラク)に、金大中(キム・デジュン)の帰国工作を指示しました。
しかし、金大中(キム・デジュン)はこの工作のうまい話には乗りませんでした。そんなさなかに起こったのが「金大中氏」事件でした。
東京で拉致された彼は、車で荷物のように神戸に運ばれ、そこから韓国籍の舟に乗せられました。
この事件の実効犯は、南山部長李厚洛(イ・フラク)の命を受けた彼の部下だということが後にわかりましたが、未だに証言が食い違い、明かにされていない部分があります。
その一つが、金大中(キム・デジュン)を殺そうとしたのか否か、そしてもうひとつが、朴正煕大統領の指示があったのか否かです。

金大中(キム・デジュン)は、船上での経験を例に「水葬にしようとしたが、米国の介入で放棄した」と語っていますが、真相は分りません。

とにかく、この事件は国際的な政治に絡んでいるので、もはや、自分の感覚で判断するしかないのかもしれません。
日本でも、警察が拉致犯の指紋を発見しながら、その後の捜査をうやむやにしてしまったり、自民党の保守右翼グループ「青嵐会」のメンバーが、「金大中氏の自作自演説」を流したりしました。
しかし、当時の田中伊三次法務大臣は、米国筋からの話として、金大中(キム・デジュン)の話を肯定しています。

いずれにしても、韓国国内では、李厚洛(イ・フラク)が勝手に金大中(キム・デジュン)を拉致させた事件として処理され、李厚洛(イ・フラク)は、その責任をとって第6代KCIA部長を引退しています。

また、金大中(キム・デジュン)は、後に大統領になった時、この韓国中央情報部(KCIA)の後身である国家安全企画部(NSPA)を廃止し、権限や機能を大幅に縮小した国家情報院を大統領直属機関として新設しました。
※下線部は、ウィキペディアより

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by lee_milky | 2019-01-26 19:56 | +南山の部長たち | Comments(0)
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