いよいよ「バンジージャンプする」の始まりです。
今回も、ビョンホンファンらしき人以外は、ビョンホン世代の男性でした。
と、言っても、全部合わせてもパラパラでしたけど。
バンジーは、福岡で自主上映してからしばらくは、憑き物がついたように観ていましたが、最近はご無沙汰していました。
あれから経年がたち、自分も世の中も変わると、映画の解釈や感じ方はこうも変わるかと驚きながら観ました。
いずれにしても、この映画は素晴らしいです。
こう言うと、古いお仲間さんは、嘘ばっかりと仰るでしょうね。
はじめは、この映画が受け入れ難くて、そのことをブログに書いたので、この映画を好きになってねと、DVDをくださった方があったほどです。
さて、今回、特に感じたのは、はじめと終わりのバンジージャンプをした後の渓谷のシーンです。
まるでドローンで撮ったようなあのシーンをどうやって撮られたのでしょう。
監督に聞いてみたいところです。
それから、テヒは何に生まれ変わってたら幸せだったのかを考えました。
イヌの娘?
女子生徒?
風でも草でも動物でも良かったのよね。
千と千尋みたいに。
そうすれば、二人は死ななくてすんだ。
映画ができた当時、男子生徒だったからこそイヌは、あれほどに悩み、二人は死を選ばざるを得なかった。
今の時代だったら?
例え男子生徒だったとしても生きる選択肢も死ぬ選択肢もあって、それは女子生徒でも同じなんじゃないかと思いました。
まー、死ななきゃこれほど美しい映画にはならなかったでしょうけど。
そういう意味では、今の時代では成立しない映画だったかもしれません。
そして、以前はどうしても、イヌの家族が不憫で仕方なかったけど、この映画の主人公はイヌの魂とテヒの魂だけで、その他の登場人物は、例えそれがイヌでもテヒでも、魂を借りた体は誰がどうであろうと関係ないのだと思いました。
最近、授業で映画を取り扱うようになってから、自分自身が変わった気がします。
ドローンの出現、LGBTに対する社会の理解の深まり、自分自身の変容。
そんなことを考えながらも、美しい映画を改めて堪能しました。