2009年 06月 29日 ( 1 )

1Q84(Book1/4月から6月 Book2/7月から9月)

村上春樹作「1Q84」を読みました。
書店に行っても手に入らず、市立図書館に行ったら、予約44人待ちであきらめかけていたら、何とうちの職場の図書館に入ってきて、しかも、「今、試験期間中で貸し出ししてないから、先に読んでも良いですよ。」なんて言ってもらったので、他のどんなことよりも読書を優先してここ数日間を過ごしました^^。
出来れば、夫にも読ませてあげたかったし、私自身、もう一度読み返したかったけど、明日は返さなければならないので我慢です^^;

私は、生来読書好きですが、中でも長編小説を読むのが好きです。
それは、読破するのに、結構な時間がかかるので、その間、ドップリとその小説に浸かっていられる感覚が好きだからです。
心おきなく、その小説の中の世界を生きることが出来るからと言っても良いかもしれません。
それに比べ、短編小説はあっという間に読み終えてしまうので、そこまで感情移入することが難しいのです。
しかし、読み始めからグイグイ引き込まれる心地よい感覚は、これまで短編でしか味わったことがありませんでした。
長編は、読み始めてしばらくは我慢が必要です。
ところが、この「1Q84」に関しては、もう、のっけからこれでもかっというくらい引き込まれました。
これは、もしかしたら、「ねじまき鳥クロニクル」「約束された場所で」を読んでいたことがこの小説の予習になったからかもしれません。
また、予習というかバイパス学習というか、この本を読みながら、度々「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」を思い出し、時には混同しながら読んでいました。
初めは、共通する「汚染」というキーワードや宗教がらみのストーリーに惑わされたからかと思っていましたが、物語が終盤に近づくに従って、自分自身がこの二つの作品の中に独自に共通項を感じていることが分かってきました。

その共通項とは「オートマティスム」です。
私が、「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」にそれを感じたきっかけは、シアターカルチャーマガジン「T」の中でビョンホンシが語ったドンポとリリの生い立ちです。
二人の生い立ちや馴れ初めをビョンホンシが質問し、それにトラン・アン・ユン監督が答える様は容易に想像がつきます。
監督の説明を聞き、それを自分なりに消化して、ビョンホンシは演じたのでしょう。
でも、私にはドンポとリリが共に孤児院で育った幼なじみであることやドンポが初めて殺人を犯したときリリが側にいる必然性が理解できませんでした。
それは、まるでとってつけたようで、ビョンホンシが質問したからそう答えたのであって、ビョンホンシの質問がなければ、ドンポとリリに過去や因縁や理屈など存在しなかったのではないかと思われたのです。
時を同じくして、お仲間さんから、ドンポが部下を金槌でめった打ちにするシーンは、かってネットで流れたイラクの捕虜たちを収容していた監獄(アブレイク刑務所)でアメリカ兵が彼らの頭に袋をかぶせて拷問しているシーンが強く印象に残っていたからというのを聞き、更に他のブログで、「ドンポの非情冷酷さの表現方法として『動物と傷つける』表現はあまりにも安易すぎる。」というのを目にして、監督は過去強烈に脳裏に焼き付いた記憶をきっかけにしてイメージを膨らませる自動記述法によってストーリーを構築しているのかもしれないと考えたわけです。
ブルトンは1924年のシュルレアリスム宣言のなかで、無意識のうちにつくりだされた詩や絵画にこそ、美学的、道徳的ないっさいの先入観を離れた真の思考が展開されることを唱え、画家、ミロの絵画こそオートマティスムによるシュルレアリスムの芸術だと確信します。
一方、ミロはブルトンとは付かず離れずの関係を保ちながらも、自分の作品について、「芸術のきっかけは、ありとあらゆるところにある。それが、例えキャンバスに付いたシミであったりヒビであったりというただの偶然であっても、次第にそれは意味づけられ、まるで初めからそれが必然であったかのようだ。」と解説しています。

つまり、「アイ・カム・ウイズ・ザ・レイン」を撮ったトラン・アン・ユン監督にとってのきっかけは、「ひとの子」であり「拷問シーン」であり「動物虐待」だったのでしょう。
そして、「1Q84」を書いた村上春樹氏にとってのきっかけは「アンダーグラウンド」や「約束された場所で」執筆のために向き合った「オウム真理教」なのだろうと思います。

何かをきっかけに思いついたことを表すことの楽しさは、何ものにもかえられません。
トラン・アン・ユン監督も村上春樹氏もどんなにか楽しかったことでしょう。
その楽しさが、作品に勢いを生み、私達を引き込んでいくのでしょう。
なぜ?なに?は後回しにして、まずは楽しむことこそ作品鑑賞の醍醐味の様な気がします。

それにしても「汚染」という符号の一致は何を意味しているのでしょうか?
二人の間にそのような会話があったのでしょうか。
それとも時代はその方向に確実に進んでいるということでしょうか。
「戦争」から「汚染」へ。
村上春樹氏のメッセージは、今回「戦争」を内包するより大きな問題へと一歩進んだのかもしれません。
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by lee_milky | 2009-06-29 00:52 | Book Review | Comments(0)