人気ブログランキング |

2018年 12月 31日 ( 2 )

やられた〜

この記事、すごい!
こう書きたかったんだよ!
という、記事です。

by lee_milky | 2018-12-31 16:00 | Comments(0)

それだけが僕の世界、ジンテは「えびす様」

過去のレビューを検索してみて、韓国で観た後、感想を書いていなかったことに、今さらながら気づきました。
釜山での舞台挨拶の日の夜、 ビョンホンシに渡す予定の手紙に映画の感想を書いたので、ここに書いたものと勘違いしていました。
手紙は翌日の大邱の舞台挨拶でビョンホンシに渡すことができたので、今は手元にないのですが、字幕付きで観てみると、理解できていなかったことも多々あるので、見当違いなことを書いていたかもしれません。

では、これから日本語字幕版を観た感想を書こうと思います。
私は、本作を観ながら「福子伝承」を思い出しました。
これは、江戸時代まで日本にあった思想で、心身に障害を持って生まれてきた子供は「福と富を呼ぶ福子(ふくご)」として、大切にしたという習慣です。
そもそもこの習慣は日本書紀にも記されているという日本の神話に端を発します。
イザナギ(男神)とイザナミ(女神)との間に生まれた神様は背骨が無く,ヒルのようにくねくねしていたので蛭子と名付けられました。
この蛭子は3歳になっても歩くことができなかったので、葦の舟に乗せられて流されてしまいました。
それを助け育て、恵比須様(蛭子様)と呼んで大切にしていました。
障かい者だったえびす様は、自分の感じる不便を改善していったことから、世の中に多くの価値を提供し、その結果、周囲に富や福をもたらしたのだそうです。
このような伝説が商売繁盛をもたらすことで知られる恵比須神社のあちこちに残っているそうです。
また、江戸時代に流行った幸運をもたらすという頭が大きくてちょん髷(まげ)を結い、背は低く、童顔で、上下(かみしも)をつけて正座している男の人形、叶福助(かのうふくすけ)も、身長60センチの実在の人物がモデルで、彼も幸運な生涯を送り、長寿だったそうです。

多神教の国にはこのような「福子伝承」があるところが多いそうですが、日本では明治維新以降、「迷信」として打ち捨てられてしまいました。

韓国にもこんな思想があったのでしょうか。
私は、「それだけが、僕の世界」のジンテは恵比寿様や福太郎の役割を果たしていると思うのです。

チュ・インスクは、DV夫の暴力に耐えかねて息子のキム・ジョハを置き去りにして家を飛び出します。
そして、橋の上から身を投げようとしたところを助けられ、命を長らえます。
その後、再婚し、ジョハの弟にあたるオ・ジンテを生み育てるのです。
ジョハとジンテが初めて会った時には、ジンテの父親の存在が無いので、二人が異父兄弟であることやインスクが再婚していたであろうことは3人の姓が異なることから予想するしかありません。

ジンテはサヴァン症候群という障害を持っています。
サヴァン症候群の人の特徴としては、脳の発達障害や知的障害を持っているにもかかわらず、絵画や音楽、計算などある特定の分野にのみ、驚異的な能力を発揮するというものです。
ジンテも、日常生活にも支障をきたすほどの障害を持ちながら、ピアノを習ってもいないのに、ハン・ガユルというピアニストのピアノ演奏を完コピしてしまうほどのピアノの天才です。
ジンテは母に連れられて福祉館に行き、教会のミサでピアノ伴奏もします。
そして、母が仕事に出かけている間は一人で留守番するか、大家の娘ヒョン・スジョンとゲームをしながら過ごします。
彼を取り巻く人は誰一人、彼を馬鹿にしたり特別な目で見たりしません。

それが、私が、この映画を観て「福子伝承」を想起した由縁です。
そして、さらに周囲の人を幸福にしていくのです。

インスクは、このジンテを女手一つで懸命に育てます。
ジョハは自分を捨てた母親を恨んでいますが、インスクは自らの命を絶とうとしていたからジョハを置いて出たわけで、自分だけが楽になるためにジョハを置き去りにしたわけではありませんでした。
でも、死ぬこともできなかったインスクはジョハを置き去りにしたことを悔やんだはずです。
彼女は障がいを持ったジンテを生み育てたことでジョハを育てることを放棄したことの贖罪を果たしたのではないかと思うのです。
つまり、ジョハにできなかった分まで手のかかるジンテを慈しんで育てたのではないかと。
だからこそ、ダブルワークをしても明るく前向きに生きられたのではないでしょうか。
ジンテは生まれながらにして、母親を幸福にしたわけです。

ジョハは、はじめジンテに偏見を持っていました。
「こんな奴、施設に入れちまえ。」とまで言います。
そんなジョハがジンテに愛情を持ち、彼を親代わりに支えていこうと決心するに至るまでの経過が、この映画の骨子です。
彼は、ジョハを軸に、母に捨てられてからこれまでに凍結していた人としての感情を取り戻し、成長していきます。
これこそがジョハの得た幸福ではないでしょうか。
ビョンホンシは、インタビューで次のように述べています。
「幼い頃にとても大きな不幸を経験して孤独に生きてきた、というバックグラウンドがあったとしても、非常に心が暗いとか、かわいそうな人には見せたくありませんでした。なぜなら、そんな自分を不幸だとかかわいそうだとか思う余裕さえジョハにはないのです。だから、ジョハはどこか子供のようですし、笑える面もあります。そして、むしろ幸せな瞬間がやってきた時に、つまり母親や弟と幸せな時間を迎えることで「あぁ、これまで俺は不幸だったんだな」と思うことになるわけです。そうした感じを考えながら演技をしたように思います。」
このこともあって、ジョハがジンテをかばう母親に腹を立てて家を出たり、病床の母に恨み言を言い、一人では生きていけない弟を置いてカナダに行こうとしたりしたことが、ジョハの凍った心が解けていく瞬間だと思ったのです。

ジンテはまた自身が敬愛するピアニスト、ハン・ガユルの心をも溶かします。
彼女は、飲酒運転の車に撥ねられ、片足を失って、表舞台から姿を消します。
ピアノにも一切触れていなかった。
ところが、自分のピアノ演奏を完コピするジンテに出会って、彼と連弾したことをきっかけに、ピアノと向き合うことができるようになります。

そして、彼女の母親も、我が子の変化から、貧乏人に対する偏見をなくしていきます。

以上が私のジンテ=えびす様説でした^^

ストーリーの順を追ってのレビューは年明けにもう一度見てから書こうと思います。
なぜなら、この書き方では書けないことがたくさんあったから^^;

では、みなさま、良いお年をお迎えください。




日韓映画文化交流研究会は随時会員を募集しています。まずは、HPをご覧ください。
「日韓映画文化交流研究会」随時会員募集中!
←Click!! 飛ばない時はこちらから


by lee_milky | 2018-12-31 00:53 | +それだけが、僕の世界 | Comments(0)